| 日本語の面白い解説を見つけました。誰がいつ書いたと思いますか?読んでソウゾウして下さい。
「・・・・・・こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。
「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんはけっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分の言い分を通そうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手を脅すようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのですそうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友達になってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。」
これは、日本政府が書いたものです。ナカナカ分かりやすいし、核心を突いていると思う。それを政府が書いているところが面白い。
1947年に文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』の一節です。水島朝穂(1997)『武力なき平和 日本国憲法の構想力』岩波書店という本のp81-82にて引用されています。水島さんが、上記の解説の後に書いている文章をちょっと長いですが引用します。9条の位置付けが分かります。
「ここには戦争のない世界の具体的なイメージが示されている。また、「戦力の放棄(不保持)」が「戦争の放棄」よりも前に置かれ、「正しいこと」の先駆けとして説明されている。
そもそも、国家が自分から軍隊・戦力を持たないと宣言すること自体、憲法の歴史のなかで「前代未聞」であった。1928年の不戦条約以降、戦争の違法化に関する規定を置く憲法は少しずつみられるようになったが、それを戦力不保持にまで徹底した憲法は存在しなかったからである。では、このような徹底した平和主義は、非常識で「アブノーマル」なのか。端的にいえば、日本国憲法の平和主義は、世界の「戦争と平和」の常識を超えていたのである。つまり「非常識」ではなく、「超常識」だったわけである。」(p.82-83)
良いですね。超常識的な憲法と平和主義。
僕は「現実的に」という言葉があまり好きではありません。
「現実的に」戦争はあるし、「現実的に」フセインや金正日は悪党だし、
「現実的に」・・・・・
でも、そういった「現実」自体がいろいろな力学によって構築されているものだ。僕らのライフスタイルもそれを支えているに違いない。既成事実を列挙して「現実的に」と言い出すことにまつわる想像力の欠如。
<現実的にイラクの人々の多くは武器を持った自衛隊を望んでいない>し
<現実的に人が死に殺される>だろうし
<現実的に、復興支援だとか人道的援助だとか言っても、裏には汚い政治的・経済的な駆け引きがある>
現実的に<もう一つの現実>を作っていこうと思ったら、まず重要なのは超常識的な想像力とヴィジョンだろう。それから、井上さんが問い掛けていたように、「じゃあどうするの?」という問いへの反応としての具体的な「動き」だろう。
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